私の中の担当論とその結果。



今回は、私の中の担当論について書こうと思います。
うまく文章にできる自信はないけどお付き合い頂けたら嬉しいです。
最初に言っときます。長いです。




元気コン参戦後からずっと考えていた。いや、考えずにはいられなかった。
今までもずっと私の担当は誰なんだと思ってはいたけど深くは考えず、
"箱推し"という言葉で片付けていた。

でもそれは決して嘘ではなった。一人に断定する事が怖かった。本当に7人全員が好きだから。


私はおよそ9.10年前、錦戸担だった。最初は関ジャニ∞より一足先にデビューしたNEWSにいる亮ちゃんに興味を持った。好きになったきっかけは昔過ぎてあんまり覚えてないけど引きがねは多分声だったと思う。(その前に顔が大前提としてあったと思うけど)
NEWSのTEPPENという曲が大大大好きで(今でも好き)初めて聞いたときに、亮ちゃんの『教えてあげ~るよ~』のフレーズで落ちた。
小6か中1の私はその部分だけを何回も繰り返し聴いた。それくらい当時の私には錦戸亮の声は魅力的だった。

この頃私は今で言うオンリー担だった。ほかのメンバーにはほぼほぼ興味はなく、亮ちゃんしか見えてなかった。錦戸亮という人間に惚れていた。


それから学業の関係でエイター閑散期到来。
最初はライブに行かなかっただけでテレビにエイトがでていたらばっちり録画したりしてたけど時が経つにつれて愛は薄まり、DVDも全く見ず、たまにテレビで見かけるぐらいになった。


高校を卒業して、社会人になった時に第二次エイター期到来。
ふと、目に入ったカウコンのDVDを何年かぶりに見た事が全ての始まり。
そこで目を奪われたのが大倉だった。オープニング、『ローリングコースター』でドラムを叩き、大きな口で笑う大倉を見て、こんな格好いい人いたっけなと思った。
だが、私が大倉という沼にはまったのはここではない。
知ってる人は知っている知らない人は調べてね!で有名な岩茸事件
あのクソヘタレなダメダメ男の姿を見て、ドラムを叩く姿とのギャップに私は落ちた。
相当変わってるということは自負している。(笑)

ちなみにこの頃が一番エイター熱があった。四六時中エイトのことを考えていた。今思えば本当に異常だったなと思うくらいに。
それからしばらく経った頃、関ジャニ∞を知れば知るほど大倉だけではなくメンバーみんなを見るようになった。
ライブでは、全員を見たいという理由で双眼鏡をあまり使わなくなった。
この頃から私の中で担当という概念が消えた。





そして現在に至る。
今でも変わらずに全員それぞれ同じくらい好き
誰が一番なんて決められない、、
と思っていた。いや、言い聞かせていた。


薄々気づいていた。自分が丸山担なのかもしれないということ。

でも全員のことが好きでメンバーみんなを好き好き言ってる私なんかが担当なんて言葉を使っていいのかという葛藤があった。




まず、どこまで行くと担当になるのか。
現にここ最近(JUKEBOXから)のライブでは悩んだあげく、毎回まるちゃんのうちわを買っているし
なんなら丸山担の友達とオレンジコーデなんてしちゃって、全身オレンジで夢だった双子コーデなんてのもしてしまっている。(もうこの時点で担当じゃないのがおかしいのかも)

ここまでしても気持ちが曖昧だった。担当という言葉が重く感じた。
それはきっときっかけがなかったから。
亮ちゃんは声、大倉は岩茸という担当になったきっかけが明確にあった。
だけどまるちゃんにはそれがなかった。
なんとなくどんどん惹かれて行って無意識に一番見ていた。



でも私は今回の元気コン参戦2日目でついに自分は丸山担だということを確信した。


リサイタルぶりに見たまるちゃんは本っ当に輝いていた。
ビジュはもちろん、一段とうまくなったベース姿、キレのあるダンス、たくさんの人にファンサする姿、心に響く甘い歌声、ギャグ言って笑ってる笑顔
全てが魅力的で丸山隆平から目が離せなかった。

参戦1日目は全員の動向を見たいという気持ちがあったため我慢できたものの2日目はもうだめだった。ずっと双眼鏡でまるちゃんだけを追っていた。
今まで双眼鏡をほとんど使わなかった私が終始双眼鏡を離さなかった。
こんなに一人だけを意識して見ていたLIVEは初めてだった。
LIVEが終わった後ずっと考えて、もやもやして、最終的にあぁ私丸山担なんだなぁと思った。




私は間違いなく関ジャニ∞全員が好き。
でもその中でも一番丸山隆平が好き。

ということに気がついた。



だからこれからは『箱推しの丸山担』だと、自信を持って言おうと思う。




結論を言うと、どこからが担当かなんてことは人それぞれで正解は誰にも分からない。
私の場合は"無意識に一番目で追ってしまう人"が担当だと自分の中で納得した。



丸山担になった私をどうぞこれからもよろしくお願いいたします。